都祁の地は、古代の闘鶏(つげ)国があったといわれ、古くから独自の文化を育んできました。
豊かな文化風土を物語る寺社や仏像などの文化財を代々継承してきました。
都祁では当社ほか、名所・旧跡が当時の面影が垣間見れるように存在します。
大和高原の山村らしい風景と緑豊かなのどかな山里巡りが楽しめます。
豊かな文化風土を物語る寺社や仏像などの文化財を代々継承してきました。
都祁では当社ほか、名所・旧跡が当時の面影が垣間見れるように存在します。
大和高原の山村らしい風景と緑豊かなのどかな山里巡りが楽しめます。
観音寺
境内に雨乞いで有名な西念房の造立といわれる十三重石塔が創建当時の佇まいを残しています。
本堂に安置されている十一面千手観音菩薩立像は、檜材の寄木造で、この仏像はあらゆる願いを叶えてくれるということで、一般から尊信を受けています。
国津神社
御神体は大きな石で大国魂命を祀り、古くから国土を守る神、農業の神として信仰されてきました。
神社後方の小山柏峰にある20数個の岩石群は、国津明神鎮座の地といわれています。
同社の石造狛犬は花崗岩製で、尾の巻き方などから、鎌倉末期の様式といわれています。社前右が阿像、左が吽像です。
来迎寺
鎌倉時代、当地に権勢を誇っていた豪族の菩提寺として栄えました。
大和地方最大級といわれる石造宝塔、鎌倉時代初期の快慶の作とされる本尊である阿弥陀如来坐像は、左ひざを立てて座る極めて稀な形相をしている善導大師坐像を安置しています。
都祁山口神社
小山戸明神ともいい、大山祇命を祀っています。
現在の社殿は明治12年に造営されたもので、拝殿は貞享4年(1687)に建造されたものです。
神社裏の山頂には通称「五社尾」という巨大な岩があり、水分大明神が降臨されたところと伝えられています。
小治田安萬侶の墓
奈良県都祁村甲岡(現在は奈良市都祁甲岡町)で発見された奈良時代の官僚である小治田朝臣安萬侶の火葬墓で、1969年に国の史跡になっています。
小治田安萬侶(おはりだのやすまろ)は蘇我稲目の後裔にあたる奈良時代の役人で、文武から聖武まで四代の天皇に仕えた高官でありました。
1912年(明治45年)、茶畑の開墾中に偶然木櫃が発見され墓誌3枚が出土し、1951年(昭和26年)に改めて発掘調査が行われて火葬墓であることが確認されました。
墓地は都祁水分神社がある丘陵の南斜面につくられており、墓誌の他に木櫃と副葬品の三彩の壷、銀製の和同開珎、須恵器、土師器が出土したほかに、双獣双鳳文鏡1面も同墓の出土品として伝わっています。
maki-can
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